はじめに
研究の世界でも、デジタル技術の活用が転換点を迎えています。文部科学省はこの変化を、「研究デジタルトランスフォーメーション(研究DX)」として整理しています。(研究デジタルトランスフォーメーション(研究DX)について-p.2)
研究DXとは、AI技術やビッグデータ解析、研究機器の遠隔化・自動化、スパコンやネットワークなどのデジタルインフラを活用し、研究の進め方そのものを変革する取り組みです。単なる効率化ではなく、新たな発見や理解を加速し、研究生産性を高め、社会的価値の創出につなげることを目指しています。(研究デジタルトランスフォーメーション(研究DX)について-p.2)
本記事では、文部科学省の資料をもとに、研究DXの意味、先行事例、課題、そして推進のための方策を整理します。
研究DXとは何か
文部科学省の資料では、研究DXを支える要素として次の3つが示されています。(研究デジタルトランスフォーメーション(研究DX)について-p.2)
- AI・データ駆動型研究
AI技術やビッグデータ解析により、人間の認知の限界やバイアスを超えて、新たな知見を発見します。 - オープンサイエンス
研究論文や研究データの公開・共有、市民参加などを通じて、分野や組織を越えた協働を促進します。 - 研究環境のデジタル化
研究装置のリモート化・スマート化、クラウドやスパコンなどの整備により、時間や場所、人手の制約を減らします。
つまり研究DXは、「AI」×「データ」×「リモート化・スマート化」によって価値創造を進める構想だといえます。(研究デジタルトランスフォーメーション(研究DX)について-p.2)
背景には、新型コロナウイルス感染症を契機に社会全体のデジタル変革が加速したことがあります。研究分野でも、AIやビッグデータ解析、研究機器の遠隔化・自動化、スパコンやネットワーク利用の拡大が進み、研究の在り方そのものが変わりつつあると整理されています。(研究デジタルトランスフォーメーション(研究DX)について-p.2)
研究DXの先行事例
資料では、研究DXの具体像を示す先行事例が紹介されています。(AIが約6600万通りから最適な作製条件を探索-p.3)
1. AIが約6600万通りから最適条件を探索したネオジム磁石の事例
世界の電力消費量の大きな割合を占めるモーターの効率化・省エネ化に向けて、永久磁石の高性能化が期待されています。一方で、ネオジム磁石の作製プロセス条件は約6600万通りあり、網羅的な探索は困難でした。
そこでAI解析を活用し、提案された最適な作製条件に基づいて実験計画を立てたところ、わずか40回程度の実験で、ネオジム磁石の強さをAI解析前の約1.5倍に向上させることに成功しています。(AIが約6600万通りから最適な作製条件を探索-p.3)
これは、AIが膨大な条件の中から有望な候補を絞り込み、試行錯誤を大きく効率化できることを示す事例です。(AIが約6600万通りから最適な作製条件を探索-p.3)
2. AlphaFold2によるタンパク質立体構造解析
DeepMindが無償公開したAI「AlphaFold2」は、遺伝子配列情報からタンパク質の立体構造を予測するツールです。従来、タンパク質のアミノ酸配列から構造を特定するには数か月から数年かかることもありましたが、AlphaFold2では限られた情報から構造と機能を推定できるようになりました。(AIによるタンパク質の立体構造解析ツール-p.3)
資料では、実験結果とシミュレーション結果がほぼ類似していることも示されており、長期間を要していた構造解析を大幅に短縮する研究DXの例として紹介されています。(AIによるタンパク質の立体構造解析ツール-p.3)
3. 富岳を活用したゲリラ豪雨予測
ゲリラ豪雨は、5〜10分という短時間で状況が急変するため、予測が難しいとされています。理研などの研究グループは、マルチパラメータ・フェーズドアレイ気象レーダによる詳細な観測データと、スパコン「富岳」による大規模計算を組み合わせることで、高頻度かつ高精度な予測を実現しました。(スパコン「富岳」を活用したゲリラ豪雨予測-p.3)
2021年夏には、首都圏において30秒ごとに更新する30分後までのリアルタイム降水予報を世界で初めて実施しています。(スパコン「富岳」を活用したゲリラ豪雨予測-p.3)
これは、観測データと計算資源を組み合わせることで、従来は難しかったリアルタイム予測を実現した事例です。(スパコン「富岳」を活用したゲリラ豪雨予測-p.3)
4. ロボットサイエンティスト「イブ」による研究自動化
ケンブリッジ大学とマンチェスター大学が開発したロボットサイエンティスト「イブ」は、1日あたり1万化合物のスクリーニングを行い、実験結果を統計学・機械学習で解析します。さらに、より高い活性をもつ新たな化合物構造を予測し、仮説・実験・検証・修正のサイクルを自動化しました。(Robot scientist Eve-p.3)
資料では、こうした仕組みが、これまで製薬企業が手を出しにくかった希少疾患などの創薬開発を後押しすることが期待されるとされています。これは、研究の仮説検証サイクルそのものを自動化する研究DXの姿を示しています。(Robot scientist Eve-p.3)
研究DXがまだ一部にとどまる理由
一方で、資料は研究DXがまだ一部の研究者・研究領域にとどまっていることも指摘しています。全国的に広げるためには、次のような課題を乗り越える必要があります。(研究DXの課題と必要なアプローチ-p.4)
- 研究DXとは何か、何をすればよいかの理解が十分に浸透していない
- 研究DXのメリットがまだ具体的に見えにくい
- メタデータ付与やデータ構造化などの実施コストがかかる
- 研究データの公開・非公開の判断が難しい
- データ量の増加に伴い、計算資源やストレージの確保が必要になる
- 分野研究者と、AI・情報科学、計測など基盤分野の研究者の連携が進みにくい
研究DXは、技術を導入すれば自動的に進むものではありません。理解、制度、コスト、人材、基盤をそろえて初めて実装が進む、というのが文部科学省資料の基本的な考え方です。(研究DXの課題と必要なアプローチ-p.4)
研究DXを進めるための3つの柱
課題を踏まえ、資料では研究DXを全国的な動きにするために、次の3つを一体的に進める必要があるとしています。(研究DXの課題と必要なアプローチ-p.4)
1. 価値創造を目指したユースケースの形成・普及
まず必要なのは、具体的な成功事例をつくり、それを広げることです。産業界の参画や海外連携も含め、研究DXの成果や、その過程で得られた仕組み・ノウハウを普及することが重要だとされています。(研究DXの課題と必要なアプローチ-p.4)
2. データ共有・利活用を促進する基盤的機能の強化
研究データを共有し、活用しやすくするための基盤整備も欠かせません。研究者や大学、研究機関の活動を促すだけでなく、それを支える機能や共通課題への対応が必要だとしています。(研究DXの課題と必要なアプローチ-p.4)
3. 研究デジタルインフラ等の効果的活用
日本にはすでに先端的な研究インフラが数多く整備されています。スパコン、クラウド、SINET、大型研究施設などを効果的に活用し、デジタル基盤を研究DXに結びつけていくことが求められています。(研究DXの課題と必要なアプローチ-p.4)
研究DXプラットフォームの考え方
資料では、研究DX実現に向けたイメージとして、AI、研究データ、スパコンを結びつけるプラットフォーム構想が示されています。(研究DXプラットフォームの形成と展開のイメージ(AI×スパコン×研究ビックデータ)-p.7)
この構想では、
- 多次元の研究データをAIなどの数理・情報科学で解析する
- 世界最高性能の計算基盤でシミュレーションを行う
- 研究データを蓄積・統合し、分野を越えて活用する
- シミュレーションによって、リアル空間では取得が難しい仮想データを生み出す
といった流れが想定されています。(研究DXプラットフォームの形成と展開のイメージ(AI×スパコン×研究ビックデータ)-p.7)
特にライフ分野では、次のようなデータアセットが例示されています。(研究DXプラットフォームの形成と展開のイメージ(AI×スパコン×研究ビックデータ)-p.7)
- 生体分子の構造データ
- 細胞の動態データ
- ヒトや動物、植物と共生する微生物
- 土壌や海など環境中の微生物
こうした多様なデータをつなぎ、AI解析によって新たな数理モデルや予測手法の開発、高付加価値化、新機能付与を実現することが狙われています。(研究DXプラットフォームの形成と展開のイメージ(AI×スパコン×研究ビックデータ)-p.7)
解決すべき課題と全国的研究データ基盤
資料では、研究DXを本格的に進めるうえでの「解決すべき課題」も整理されています。(解決すべき課題-p.8)
- 各分野・各機関のデータプラットフォームやリポジトリは進んでいるが、それらをつなぐ全国的研究データ基盤が未実装
- 公的資金による研究データの取扱いに関して、DMPの作成やメタデータ付与など、研究者に求められる責務が増大している
- 研究データの取扱ルールや制度整備の普及が追いついていない
- データマネジメント人材が不足している
- DXによる研究手法の変革が一部にとどまっている
これに対して文部科学省は、各分野・機関の研究データをつなぐ全国的な研究データ基盤の構築・高度化・実装と、AI解析等に資する環境整備を進める方針を示しています。(解決すべき課題-p.8)
その中心にあるのが、「AI等の活用を推進する研究データエコシステム構築事業」です。(解決すべき課題-p.8)
この事業では、次の2点が柱となっています。(解決すべき課題-p.8)
- 全国的研究データ基盤の構築・高度化・実装
研究データの管理、蓄積、利活用、流通に必要な機能を整備し、各機関・各分野のリポジトリやデータプラットフォームと連携します。 - 研究データ基盤の活用に係る環境の整備
機械可読データの統一化や標準化、ルール・ガイドラインの整備、データマネジメント人材の育成支援などを進めます。
資料では、令和4年度予算額は991百万円、事業期間はR4年度〜R8年度とされています。(解決すべき課題-p.8)
研究データエコシステム構築事業の5つの取組
この事業は、次の5チームで構成されるイメージが示されています。(研究データエコシステム構築事業の取組イメ―ジ-p.9)
1. 研究データ基盤高度化チーム
DMPに基づくデータ管理、メタデータ付与、出所や修正履歴の管理、秘匿したまま安全に解析できる環境整備などが想定されています。(研究データエコシステム構築事業の取組イメ―ジ-p.9)
2. プラットフォーム連携チーム
分野・機関のリポジトリやデータプラットフォーム同士の連携・接続を進めます。(研究データエコシステム構築事業の取組イメ―ジ-p.9)
3. 融合・活用開拓チーム
異分野間のデータ連携を前提に、AI・データ駆動型研究のシーズやユースケースを創出します。(研究データエコシステム構築事業の取組イメ―ジ-p.9)
4. ルール・ガイドライン整備チーム
個人情報などの留意事項を含む研究データの取扱いルールやガイドラインを整備します。(研究データエコシステム構築事業の取組イメ―ジ-p.9)
5. 人材育成チーム
データマネジメント人材の育成に向けて、教材開発やコンテンツ整備を進めます。(研究データエコシステム構築事業の取組イメ―ジ-p.9)
このように、研究DXは技術開発だけではなく、制度整備・基盤整備・人材育成を含む総合的な取り組みとして構想されています。
まとめ
文部科学省が示す研究DXは、AI、データ、デジタルインフラを組み合わせて、研究の進め方そのものを変えていく取り組みです。(研究デジタルトランスフォーメーション(研究DX)について-p.2)
先行事例としては、ネオジム磁石の作製条件探索、AlphaFold2によるタンパク質構造解析、富岳を活用した降水予測、ロボットサイエンティスト「イブ」などが挙げられ、研究DXが生産性向上や新たな発見につながる可能性が示されています。
(AIが約6600万通りから最適な作製条件を探索-p.3) (AIによるタンパク質の立体構造解析ツール-p.3) (スパコン「富岳」を活用したゲリラ豪雨予測-p.3) (Robot scientist Eve-p.3)
(AIが約6600万通りから最適な作製条件を探索-p.3) (AIによるタンパク質の立体構造解析ツール-p.3) (スパコン「富岳」を活用したゲリラ豪雨予測-p.3) (Robot scientist Eve-p.3)
一方で、理解不足、コスト、制度、人材、基盤連携といった課題も大きく、成果はまだ一部に限られています。そのため、文部科学省は、ユースケースの形成・普及、データ共有基盤の強化、研究デジタルインフラの活用を一体的に進める方針を示しました。(研究DXの課題と必要なアプローチ-p.4)
今後の焦点は、全国的研究データ基盤をどのように実装し、研究者・大学・研究機関・企業をどう結びつけていくかです。研究DXは、研究の効率化だけでなく、社会や経済、科学のあり方にまで影響するテーマとして、これからさらに注目されていくでしょう。(解決すべき課題-p.8)
参考資料:研究DXの推進について
参考資料:文部科学省「研究DXの推進について」資料3(https://www.mext.go.jp/content/20220617-mxt_kiso-000023439_3.pdf)

